
| ひとは、現実という舞台で演技をする役者 |
| のようなものだと、私は思う。だが、そこで |
| 自分が演じたい役柄と、与えられた役柄の違 |
| いに苦しむ人は多い。不本意な役を演じるこ |
| とに疲れて病んだ人々に、彼らが本当に演じ |
| たかった妄想の舞台を与えること−−−それ |
| が私、金沢キツネの仕事だ。 |
| 「それってつまり、お金もらって、なりかけ |
| のバロックにトドメを差してるんでしょ」 |
| ルビはソファに身を投げ出して、子どもの |
| ように細い足をぱたぱた揺らしながら言う。 |
| 「おまえみたいに勝手にひとの事務所に入り |
| 浸ってるプーよりマシだろ。どけ。それは客 |
| 用のソファだ」 |
| 「ここ、あといまキツネがいるところしか椅 |
| 子ないじゃない」 |
| 「客が来たんだ」 |
| ルビは音もたてずに跳ね起きた。同時に、 |
| 淡い緑の服を着た少女が入ってくる。長い髪 |
| に埋もれた小さな顔はきれいだが、伏せた睫 |
| の奥の瞳は宙に浮いている。バロックだ。 |
| 「ああ、また間違えてしまった」 |
| 少女はいきなりその場に倒れ込んだ。 |
| 私はあわてずに抱き起こし、ポケットから |
| タブレットを取り出して少女に飲ませる。 |
| 「呼吸をしなくても話ができるクスリです」 |
| バロックの奇妙な挨拶には慣れている。 |
| 「ありがとう。ラクになりました。やっぱり、 |
| バロック屋さんって、すごい」 |
| 私は安心用の笑いでこたえた。あのタブレ |
| ットはじつは……まあ、それはいいか。 |
| 「私、アミといいます」 |
| アミはきちんと両膝に手をあてて座ってい |
| る。話し方も、見かけより大人っぽくて、上 |
| 品だ。金持ちのお嬢さんかもしれない。 |
| 「名字はかんべんしてください。もしも」 |
| 「かまいませんよ」 |
| 私は事情通用の笑いを見せる。このほか、 |
| 私は通常18種類の笑顔を仕事で使っている。 |
| 「……あの、少し先のことがわかってしまう |
| 人間のためのバロック、置いてありますか」 |
| 「お探ししましょう」 |
| 私は机に向かってマシンを起動させる。机 |
| の下で、ルビが体を丸めてニヤニヤしていた。 |
| 来客中は、ここに隠れて私の仕事を盗み見る |
| のが好きらしい。 |
| 「検索用のキーワードとして、もう少し詳し |
| く、バロックの特徴をお願いします」 |
| 話しながら私はキーボードに指を走らせる。 |
| 「それは、前触れもなく目の前が白く光って |
| 起こります。光の向こうに透明な扉、扉の向 |
| こうにいくつかの未来。私はひとつの扉を選 |
| びます。すると、その未来が確定された出来 |
| 事として現実になります」 |
| 「100パーセント確実に?」 |
| 「ここに来る前も、あなたの顔とこの部屋を |
| 予見しました。ほかにもふたつ、男の人の顔 |
| が見えました。私は一番若くてやる気のなさ |
| そうな、あなたの顔を選びました」 |
| 机の下でルビが吹き出したが、アミは、と |
| いうよりたいていのバロックは、周囲の状況 |
| に反応しない。 |
| 「でも、ここへ入ってきたとたん、次の未来 |
| が見えたんです。私は死ぬか、怖い思いをす |
| るか、いまの私と別人になるか……ああ」 |
| アミは両手の指先で両目を覆った。 |
| 「選択したあと、私の選ばなかった未来も見 |
| えます。あなたのところへ来なければ、小鳥 |
| を手に入れるだけの少し幸せな未来もあった |
| のに。私、いつも最悪の選択しかできない」 |
| 手と手の間にみえる形のいい唇が、唇だけ |
| の生き物のように動いていた。 |
| 「アミさん以外の人間について予見すること |
| はありますか?」 |
| 「悪い運命はよく見えます。骨董品を死者の |
| 形見と知らずに大事に持っている人が、やが |
| て前の持ち主と同じ運命をたどるところ…… |
| 毒蜘蛛に噛まれた友達を助けようとした人が、 |
| 逆に噛まれて毒にたおれてしまうところ」 |
| 「やっぱりいくつかの扉として?」 |
| アミはてのひらの目隠しを外し、見えない |
| ものを見る目で私を見た。 |
| 「いいえ。絶対に変えられない運命として」 |
| 「そうですか」 |
| まあ、バロックにしては理性的なほうだと |
| 思い、私は仕上がった物語をプリントアウト |
| して、アミに渡した。 |
| 『私はマアトが右手でふるう剣である。剣は |
| マアトを汚す者を斬り、浄化する。剣に収め |
| るべき鞘はない。剣は心を持たないが、マア |
| トが左手に持つ天秤の、右側がほんの少し重 |
| いのは、剣の痛みが乗っているからだ……』 |
| 「マアトって?」 |
| 「エジプトの、真実の掟を司る女神です」 |
| 「そう。そうね……うん……うん」 |
| アミは何度も物語を読み、うなずいた。 |
| 「たしかに、これ、私のバロックです」 |
| 「無事に見つかってよかったですね」 |
| 「ありがとうございました」 |
| アミはていねいにおじぎをすると、規定の |
| 料金を支払い、帰って行った。身なりからし |
| てもう少し取れそうかとも思ったが、簡単な |
| 仕事ですんだので気がひけた。 |
| 「なんでマアトの剣なわけ?」 |
| 「あのバロックにとって必要なのは、何も考 |
| えずにすむ物語だからさ。予見は、あの子の |
| 核になる妄想だから、書き換えちゃいけない」 |
| 「ふうーん」 |
| ルビはさっきまでアミの座っていたソファ |
| にまた転がった。 |
| 「キツネ、テレビとか見ないでしょう」 |
| 「滅多にな。ネットのほうが多い」 |
| 「私、チラッと見ただけだけど、あの子、多 |
| 由良アミって、テレビで有名な子だよ」 |
| 「へえ、そうなのか」 |
| 私はさして驚かなかった。 |
| 「驚異の予知能力とかいって、スペシャル番 |
| 組でよくやるもん。自分はともかく、他人の |
| 予見は、バロックじゃないかもよ」 |
| 「お前とインチキ番組って異常に似合うな」 |
| 「テレビじゃ的中率70パーセントとかいって |
| たけど、ひょっとして、あんまり悪いことだ |
| とわざとハズして言ってたのかな」 |
| 「それはわかるな。バロック屋も、似たよう |
| なことはやるからな」 |
| 9日後、アミから私宛に小さな箱が届いた。 |
| 「マアトの天秤の重みです」 |
| と書かれた手紙といっしょに、小鳥の死骸 |
| が入っている。バロックからの、こうした贈 |
| り物はめずらしくない。小鳥はありがたく窓 |
| 辺に吊そう。 |
| 「アミ、死んだって知ってる?」 |
| ルビが来て、窓の小鳥をさっそく指でつつ |
| いて遊んだ。 |
| 「ウワサでは、いきなり予知能力が消えたの |
| がショックでバロックが進んで、異形に食べ |
| られにゼロ地区へ行ったって」 |
| 「そうか」 |
| 「やっぱり、キツネのところへ来たのは最悪 |
| の選択だったんだね」 |
| 「でもそのあとは、いつも正しい選択をした |
| はずだろ。アミの運命にとってはさ」 |
| もしかしたら、悪い運命を予知するアミは、 |
| これまで最悪の選択をすることで、最悪の運 |
| 命を逃れていたのかもしれない。だが、私の |
| 仕事は、彼女の後悔を妄想に変えてやること |
| だ。たとえ異形に引き裂かれたところで、ア |
| ミは心のない剣だから苦しまない。わずかな |
| 痛みも、切り取って私に贈ったのだし。 |
| 「こうなるんなら、あのとき私もアミに予見 |
| してもらえばよかったかな」 |
| 「私も、ってどういうことだ」 |
| 「キツネだけ予見を聞いてズルイってこと」 |
| 「……」 |
| とくに言われた覚えはなかったが、つまら |
| なそうなルビを見るのは気味がいい。 |
| 私は笑ってみせようとした。が、仕事以外 |
| で使う笑顔は2種類しか持っていないので、 |
| もったいないからやめておいた。 |
vol.1 "PRECOGNITION" END